我が家の愛犬が、11月24日に亡くなりました。
16歳(来年春で17歳)のおばあさん犬でした。
我が家に来たのは10歳過ぎたころ。息子の起立性調節障害に、犬の散歩をするのがいいのではないかと親戚から譲られて我が家へやってきました。
犬ちゃんはたいしたしつけをされていなかったので「待て」以外はまったくできず(その「待ても」かなりいいかげんなもの)、散歩に行けば人間をひっぱって自分の行きたい方向へ行き、吠えたり噛んだりこそ全くしなかったけれど、なついたり言うことをきいたりということも全くしない子でした。
我が家へ来た時にはもう10歳を超えていたので、いつ寿命が来るかもわからないし、ただただ、何かの縁でうちの家族になったのだから、穏やかな老後を過ごしてもらえればそれでいいかと思っていました。でも「犬ちゃんが死ぬ時には、子どもたちの辛いものも一緒に持って行ってね」と身勝手なことを私は考えていました。
息子も最初のうちは一生懸命朝起きて散歩をしようとしていましたが、朝の絶不調が良くなることはなく、そのうち散歩にもだんだん行かなくなりました。
そのかわり、娘がとてもかわいがりました。
不登校になった息子にばかり私の目が行く日々、娘もだんだんと学校へ行きたがらなくなり。
けれど犬ちゃんの散歩を母娘で行って、道中ふたりでいろんなことを話したり笑いあったり。犬ちゃんのセルフシャンプーに行くときにも娘は必ず付き添ってくれました。
犬ちゃんとの思い出は、もれなく子どもとの思い出がついてきます。
犬ちゃんはもともと皮膚が弱くて、すぐかゆくなったり毛が抜けたりしていて、投薬とシャンプーの日々でしたが、前庭疾患(めまいがして歩けなくなる)になってからは足腰が弱くなったのかかゆみがあっても皮膚をかくことが出来なくなり、皮膚の状態は良くなってきたものの、今度はよく吠えるようになりました。
緑内障になって失明、その後は認知症、昼夜逆転。あんなにめったに鳴かなかった子が、うろうろ歩いて壁にぶつかっても後ろへ下がれず、狭いところにはまり込んでは昼夜問わずワンワン吠えていました。そのたび救出へ行く日々。夫は近所迷惑になるからと、毎晩睡眠時間を削って犬の世話をしていました。
最後の3週間はとうとう歩けなくなり、そして最後の1週間はわたしは犬ちゃんのそばで寝袋で寝て、夜中に吠えたら水を飲ませたり、床ずれ防止に体位変換したりする生活をしていました。
でもとうとう、その時が来て、私の目の前で亡くなってしまいました。
悲しくて悲しくて、寂しくて寂しくて、犬ちゃんの居た場所を通るたび、思い出しては泣いて過ごしました。
それでも火葬をすませ、病院へ挨拶へ行って、お世話になったペットサロンにも挨拶へ行って、寄付できるものは愛護センターへ持っていって使ってもらうことにして、そうして一つずつ片付けていくと、不思議と感情が落ち着いてきました。
時々今もまだ、いつもの場所に犬ちゃんがいるような気がしてしまいますが、でもきっともう、とっくにうちにはいなくて、天国で思い切りかけまわっているんじゃないかと思います。
それぞれ、辛い時を犬ちゃんと過ごした子どもたち。
息子は現在、大学で日々授業やレポート、部活動にいそしみ、アルバイトもしているようです。
娘は全国高校生の中で特待の留学生に選ばれるように、これからがんばると言っています。
子どもたちも、自分の道をそれぞれ歩み始めました。
犬ちゃんは、私の唯一の願いを叶えてくれたのでしょうか。
「そんなの知らないよ」って天国で言ってそうですけどね(笑)
そうだとしても、私は犬ちゃんに感謝しています。
我が家に来てくれて本当にありがとう。