「足るを知る」という言葉を再度思い出したのは、子どもたちが受験生となった今年。
息子が中学1年の夏休み明けから学校へ行けなくなり、パニックになっていた私に、友人が中国の偉大な思想家であり道教の始祖・老子の言葉を基にした本を貸してくれて、それがきっかけで「足るを知る」を知りました。
足るを知る、というのはネットで調べると「身分相応に満足することを知る」と書いてあります。
人間の欲望には際限がなく、「あれも、これも」と目に見えない、目の前にないものばかりに囚われてしまうと、それは幸せではないよ、ということを教えてくれています。
そうではなく、目に見えるもの、今目の前にあるものを認めて、持てるものに満足をする。そうすることで、自分がいかに恵まれているかを知り、幸せを感じることが出来るのだそうです。
この考えは「向上心」に相反するように感じます。「今より成績を上げたい、もっと良い大学・高校に入りたい」と思うから、辛い受験生活も乗り越えられるのかもしれないし、企業も「今年より来年は実績を上げて売り上げを伸ばす」ように経営をしますしね。
足るを知る、という言葉の原文は「足るを知る者は富み、つとめて行うものは志あり」とされています。「満足を知っている人間は豊かな人であり、努力を続けられる人はそれだけで目的を果たしている」という意味だそうなので、向上心を持つことも決して間違いではありません。
ですが、その向上心が、意味のない虚栄心から来るものであったり、また心身を浪費するような努力を強いられるというのであれば、間違った方向ではないかと思います。
例えば、大学を選ぼうとするときに、住んでいる地域で一番のところへ行きたいと考えたとしましょう。でも日本には東京大学をはじめとする、優秀と言われる大学がたくさんあります。「住んでいる地域で一番」という理由だけでは、満足できなくなるかもしれません。では努力の末に東京大学に入れたとしましょうか。でも世界に目を向けると、東京大学よりももっともっと優秀と言われる「世界大学ランキング」一位の大学だってあります。そう思うと東京大学では満足できなくなってしまうかもしれません。では世界大学ランキング一位の大学に入ったとして・・・その後はどうしますか?世界一位の企業に就職したら満足ですか?自分で起業して世界一の会社を作れれば満足ですか?その次は?その次は・・・?
そういう生き方は、辛いししんどいのではないかと思います。
会社経営も同じことが言えます。昨年よりも売り上げを上げたいと思うのは企業なら当たり前ですが、そのための目標設定や努力の仕方を間違うと、ただただ社員の心身を消耗していくだけのブラック企業になりかねません。
(利益だけを追い求めるスタイルは、現在ではあまり見なくはなっているかもしれません。もちろん企業活動は利益を上げてナンボですから大事な要素ではありますが、並行して「地域貢献」やさまざまな「奉仕」、また「持続可能な経営方法」と言ったものも唱えられてきています。自分たちだけが良ければそれでよい、という考え方は少し古くなってきているようですね。)
私が子どもたちが受験でまた「足るを知る」を心に刻んだのも、そのような理由からです。
実はね、先日のブログで息子が大学に合格したことを書きましたが、ひとつ合格が出ると、「次はもっと”いい大学”に合格してほしい」という欲が出てきちゃったんですね。
”いい大学”って何でしょう?
偏差値が高い大学でしょうか。知名度のある大学でしょうか。
前回、「学びたいことが学べるならどこの大学でもいいじゃないか」と書いたくせに、やっぱりひとつ合格が出ると「もっと上を・・!」って思ってしまったんですね。
全然「足るを知」れてません(;´∀`)
そんな自分にはたと気づいて、ダメだねぇと思いなおしました。もう一度「足るを知る」を心に刻みました。
先日息子は無事、第一志望の大学に合格しました。世間様から見たら大したことない大学ですが、それでも息子が「ここが良い」と思って、彼なりの努力をして、合格をもらえた大学です。ありがたいことです。
今目の前にある幸せを、きちんと「幸せだなぁ」と感じられること。これが「足るを知る」ことで、良い人生を送る鍵だと思います。
私よりも子どもたちの方がよっぽど「足るを知る」を心得ています。
私と同じように、子どもに勝手に期待をして「足るを知る」ことを忘れている方いませんか?
子どもは自分とはまったく違う人間です。親の思うとおりになんか、99%なりません。
それなのに「どうして私の思うようにならないんだろう」と悩む方がしんどいですよ。
まずは足るを知ること。
そしてお子さんが本当はどんな人生を生きていく人なのか、四柱推命で知ってみてください。お母様方のお辛い気持ちが、少しでも救われますように。そういう思いで鑑定させていただきます。