フリーダ・カーロという女性画家をご存じでしょうか?
名前を知らなくても絵や写真を見たら「あ~知ってる」と思うかもしれません。
マグダレーナ・カルメン・フリーダ・カーロ・イ・カルデロン(Magdalena Carmen Frida Kahlo y Calderón、1907年7月6日 – 1954年7月13日)は、メキシコの女性画家です。この写真、とっても美しいですね。
私が好きなYouTuberの方が、フリーダ・カーロの人生を紹介していました。
この方の人生が、実に波乱万丈なんです。
フリーダ・カーロの一生と命式をどうしてもご紹介したくなりブログに書いています。
wikipediaとYouTubeから抜粋してフリーダの略歴を書きます。
フリーダ・カーロについて
最初の不運
父はドイツ人(ハンガリー系ユダヤ人)で母はメキシコ人。父は若いころナチスの台頭を機にメキシコへ渡航、写真家として妻と娘たちと暮らしていました。
フリーダは幼いころは元気いっぱいに育っていましたが、6歳(大運未、癸丑)の時に急性灰白髄炎がもとで右足に麻痺が出て、そのせいで右足が成長しなくなり両足の長さに差が出てしまったそうです。しばらく寝たきりでしたが、父親の献身的なリハビリのおかげで再び歩けるようにまでなりました。
その後15歳(大運戊、壬戌)でメキシコの国立予科高等学校に進学します。最初は医師を目指していたようですが(賢かったんですね)、父の知人の影響で絵を描くこともしていました。またその頃から国民社会主義的思想に傾倒していったようです。恋人も出来ました。
次の不運
ところが18歳(大運申、乙丑)のとき、乗っていたバスが多くの死傷者を出す大事故を起こし、フリーダは大けがをしてしまいます。腰椎や右足は骨折をし、子宮・膀胱にダメージを受け、一命はとりとめたもののその後まで後遺症に苦しみます。学校を辞めざるを得なくなり、また恋人とも別れてしまいました。
寝たきりで過ごしていた時、家族はフリーダのベッドの天蓋にいつでも自分の顔が見られるよう鏡を取り付けたようで、そのうちフリーダは自画像を描き始めるようになりました。これをきっかけに、画家への道へ進み始めました。
結婚するも・・・
自分の絵を当時メキシコで一番有名だった画家、ディエゴ・リベラに見せたことから二人の交際は始まり、のちに結婚をします。フリーダ22歳(大運己、己巳)、リベラ43歳の年の差カップルでした。
リベラはアメリカで大きな仕事を請け負うことになったり、フリーダもリベラと共に、夢だった海外へ行くことが出来たりと、結婚当初は夫婦関係は順風満帆でした。ただケガの後遺症からの3度にわたる中絶や流産によって心身ともに深く傷ついていきました。このころ描かれた絵が有名な『ヘンリー・フォード病院』です。(ご興味あれば検索してみてください)
リベラの女性関係が派手だったのは彼女も十分知って許していたのですが、フリーダの実の妹との不倫が明らかになったことにはとうとう我慢できず別居することになります(大運酉、乙亥)。その後は政治活動にのめりこむようになり、またフリーダ自身も夫以外の芸術家や共産主義者などと浮名を流しました。
海外で個展を開き、32歳で離婚(大運庚、己卯)するものの、翌年またリベラと再婚(庚辰)することに。このころには脊椎の後遺症の痛みが相当ひどかったらしいです。この頃描かれた『折れた背骨』にその心情は明らかです。しかし皮肉なことに、これらの作品を通して画家としても有名になっていきました。
体調が悪化
39歳(大運戌、丙戌)の時には脊椎を金属で固定する手術を受けるが失敗だったようで、モルヒネや鎮痛剤の量が増えていきました。
46歳(大運亥、癸巳)の時にメキシコで初めて個展を開きました。その時も寝たきりで来客に対応したといいます。そして右足が壊死、膝から下を切断したことでひどくふさぎ込むようになってしまいました。
大量のモルヒネと鎮痛剤を注射しながら、最後は肺塞栓症で亡くなりました(大運亥、甲午)。
フリーダ・カーロを四柱推命で見てみる
さて、そんな壮絶な一生を送ったフリーダ・カーロの命式です。
時 日 月 年
壬 丙 丙 丁
辰 辰 午 未
月令(丁)
生まれ時間は分かりませんでしたので推測です。
命式の特徴
なんといっても年干・月干・日干すべて火で、なおかつ丙がふたつある「天無両日」です。天に太陽はふたついりません、ふたつあることは異常です。太陽が強すぎれば世界を干からびさせてしまいます。
ただ、丙は月令を得ていますが火の根は無く、偏官(壬)の根は2支ありますが辰由来なのでさほど強くはありません。火と水の強さのバランスはまあまあ拮抗していると言え、また壬と丙は「江暉相映」で良い干関係です。個性的でありながらも頭脳明晰な人物と言えるでしょう。
※ところで日干丙の方のお顔の特徴と言うのがあるそうで・・・
日干丙の隣にもうひとつ丙があれば「額が広いおでこであり、鼻は高くして先が尖っている」そうで、個性が強くなり、欧米人に多いタイプになる、とのことです。まあ、こちらはそもそもが西洋人なのでなんとも言えませんね。
さらに、江暉相映(丙壬)の方は「眼力が強く威圧的な目つきになる」とのこと。
こちらはどうでしょうか?あっていますか?冒頭に載せた、フリーダの写真を見てみてください(笑)
行運について
己の年は「己土濁壬」の影響か、また比劫を洩らし弱める影響か、フリーダが夫と出会い結婚したのも、のちに離婚したのにも関係がありそうです。結局夫とは、お互いが芸術家として尊敬しあう同志のような関係ではあったものの、心安らげる関係ではなかったようですね。フリーダ自身も(夫への当てつけだったかもしれないにしろ)多くの愛人関係だった男性がいたようです。
そして子どもの頃足を患った時、学生時代交通事故に巻き込まれた時は官星が強まっている時期と重なります。不運な事故というのは忌神官星が強い時に起きやすいです。
また、夫と再婚をしたのも官星が強い時期でした。体調の悪化からずいぶん気弱になってしまっていたことがうかがえます。
以上、推測にすぎませんが、ざっとフリーダ・カーロの命式を見てみました。
これまで「グロテスクな絵だなぁ」くらいにしか思っていなかったのですが、彼女の一生を知れば、強烈な個性の数々の作品は彼女の壮絶な人生の裏打ちがあったのだということが良く分かりました。多くの不運に見舞われはしましたが、ただその不運がなければ画家としてのフリーダもいなかったでしょうね。
今後も自身の勉強のために、命式の研究を続けていこうと思います。
お付き合いくださりありがとうございました。