干支暦の最初の日付は・・・?
四柱推命や算命学などを使う人は、誰しも考えることでしょう。
干支暦の最初の最初、おそらく甲骨文字を使っていた何千年もの昔、「今日から干支暦をつけるぞ~!」とどこかの誰かが決めたその日は、きっと甲子年の甲子月、甲子日だったのではないか?・・・と。
だって、干支の最初の最初は甲子だもの。年も月も日も(時間も)甲子から始まるんだよね?
そして干支が甲子から癸亥まで60あり、甲子から順番にひとつずつずれながら暦が進むのなら、何十年、何百年かに1日くらい、甲子年、甲子月、甲子日がトリプルで重なる日があってもよさそう!と思ってしまいますよ、、、ね??
甲 甲 甲 甲
子 子 子 子
自分の命式がこんな↑命式だったら、「カッコよ!」ってなりますよね(笑)
でもこんな日は永遠にやってきません。
なぜなら甲子の年に、甲子の月は来ないからないんです。
甲子月が巡るのは戊か癸の年だけと決まっているので、どれだけ待っても甲子年に甲子月が来る日はないのです。
不思議ですよね~?(え、私だけですか??)
というわけで調べてみました。干支暦の歴史です。
干支暦の歴史
まずは日干支から始まった
干支で日付を記す方法は、中国最古の王朝、殷の時代(紀元前16~11世紀ごろ)にはすでにあったようです。この時から始まった干支暦(年月はなく、ただ日にちだけ)は3000年経った現在まで、この時からずーっと続いているのだそう!

王朝や元号、またその時代に採用されている暦が変わったとしても、干支暦はそれらに影響されることなく切れることなく続いているので、歴史的な出来事の時代を割り出すのに用いられたりもするそうです。つまり干支暦は絶対的な基準となるわけです。すごいですよね。
年干支
日単位から干支暦の使用が始まり、年単位を干支で記すようになったのは少し後、漢時代(紀元前206年~)だったようです。皇帝の即位の時期などを表すのに、木星の位置諸々から干支を当てはめて使うようになったそうです。
まず月支が決まる
現在の干支暦のように立春から新年(中国式四柱推命では立春から新年です)という暦になる前、周代(紀元前11世紀~紀元前3世紀頃)では一年の始まりは冬至でした。一日が一番短い日から一年がスタートするというのは、なかなかよく考えられていたなと思いますね。
一年を12分割であらわすのに十二支(子丑寅・・・亥)を用いると、冬至がある月が正月で子月となります。確かに冬至の日とお正月は、日にちが近いですし直観的に理解しやすいです。

写真:Jakub Hałun(Wikimedia Commons)
ライセンス:CC BY-SA 4.0
https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/
ですがその後、漢の時代からは正月を立春(現在の2月)とし、寅月から一年が始まるようになります。
いったいなぜなのでしょうか??謎です。ご存じの方はご教授くださいませ。
そして月干支へ
そして月の名前にも十干が使われるようになったのはもう少し後、唐の時代(7~9世紀頃)には使われていたことが分かっています。十二支と季節は毎年変わりませんが(子は冬、寅は春など)月の十干は、その年の十干から割り当てるというルールになりました。
つまり、甲と己の年は丙寅月から始まり、乙と庚の年は戊寅月から、丙と辛の年は庚寅月から、壬と丁の年は壬寅月から、戊と癸の年は甲寅月から始まる、というようにです。
(寅月は現在では2月、立春の日から始まります)
2025年は乙巳年ですから、立春のある2月は戊寅、
2026年は丙午年ですから、2月は庚寅となります。
そうすると、一番初めに書いたように、戊と癸の年は、甲寅月から一年が始まるので、順に乙卯、丙辰、丁巳、戊午、己未、庚申、辛酉、壬戌、癸亥、甲子、乙丑、となります。
はい、ここで甲子月が出てきました。地道に万年暦を見ればわかりますが、戊と癸の年以外に、甲子月は出てきません。
(甲子は60ヶ月に1回登場します。十干が一回りする間に十干×12カ月=120ヶ月あり、戊と癸の年にそれぞれ1回ずつ甲子が登場するというわけです。)
では甲子の年はというと、甲の年なので正月(立春)が丙寅月から始まり、その後は順に丁卯、戊辰、己巳、庚午、辛未、壬申、癸酉、甲戌、乙亥、丙子、丁丑、となります。そもそも甲の年には甲子月は出て来ないんですね。
というわけで、甲子年、甲子月、甲子日というトリプルで甲子がそろう日というのは、少なくとも唐代以降にはありえないということが分かりました。
ちなみに時干は、日干甲の場合、子の時間の十干は甲です。年・月・日で甲子がそろわなくても、年・日・時で甲子が揃うことはあります。
ところがどっこい、四柱に同じ干支が4つ並ぶ日もあった!!!
以上から、「四柱に同じ干支が4つ並ぶことはない(ドヤ)」と私は結論付けていたのですが、熱心に四柱推命を学ぶ方から「4つ並ぶこともある」ということを教えていただいたのです(恥)。
つまり、こういうことです。
甲の年は丙寅から始まるので、ちょうど戌月に再び十干の甲が巡ってきます。
ということは、甲戌年には甲戌月がやってくることになる。
そして、うまく回れば甲戌日もあり(日干支については年によっては無いこともあるそうです)、そして時間も戌時の十干は甲なので時干にも甲戌があります。
はい、
甲 甲 甲 甲
戌 戌 戌 戌
という命式は存在しました!!!
同様に考えて、乙年は戊寅から始まるので、酉月に乙が巡ります。ということは、乙酉年には乙酉月があります。
同じく、丙申年には丙申月が、丁未年には丁未月、戊午年には戊午月が・・・・(残りは皆さま探してみてください)
というように、四柱すべてに同じ干支が並ぶことがあり得るのです!
私が最初に「甲子年に甲子月はない」と言ったことは間違いではないのですが、戌月に甲が巡るということに気づけなかったため、結果間違ったことを書いていました。本当に申し訳ないです。そしてご指摘くださった読者様には感謝を申し上げます。
まとめ
まとめますと、
①干支暦は日干支から始まった
②次に年が干支で表されるようになった
③一年を12で割り、月を子月から始まる十二支で表すようになった(後に一年の始まりを寅月に変更)
④年の十干から月の十干を決めるというルールが出来、月も干支で表されるようになった
ということみたいです。
最初の最初の暦は、甲子年・甲子月・甲子日ではなかったんですね~・・・なんかちょっと残念です。
干支暦の一年は12ヶ月
さて、古代から現代まで、その時代ごとに暦の改定や変更がありました。太陰太陽暦(日本で言う旧暦)では2,3年に一度閏月などを用いて調整しつつ、季節と暦のずれを正してきました。
では四柱推命では閏月はどう扱うの??閏月がある年は十二支じゃなくて十三支になるの??などと思ってしまいそうですが、太陰太陽暦とは違い、干支暦は一年を24分割した二十四節気※で月の干支を決めているので、旧暦で言う閏月などがあっても関係なく、一年を12等分、つまり12か月(十二支で表す)で一年を表しています。
以上、干支暦の歴史でした。
※1年を春夏秋冬の4つの季節に分け、さらにそれぞれを6つに分けた24の期間に季節の名称をつけたもので、中国発祥の伝統的な暦。立春、春分、夏至、秋分、冬至など、太陽の動きによってさだめられる。
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