従格の方のよくあるお悩み
人様の悩みに貴賤はなく、重い軽いもなく、同じように悩みに共感し等しく鑑定をさせていただいてはいますが、やはり四柱推命という手法を使った鑑定ですから、その方の人生や生き方、考え方というのはなんとなく透けて見えます。
鑑定をしてみて思うことなのですが、現在悩みや苦しみを抱いている方でも、大運・年運で明るい兆しが見えていれば、「そうそう苦しむことはないですよ、〇年後には物事が順調に進み始めますから今からその準備をしておきましょうね」とお伝えするのですが、
もちろん、その〇年後がかなり先になってしまう方もいて、現在の苦しい状況、お心内を知るだけにどうお伝えしたものかとかなり悩むことがあります、ということは以前のブログでも書きました。
特にそのような中でも、「従格」であるにもかかわらず、大運・年運の巡り合わせが良くなく、なかなか芽が出ず苦しんでおられる方をよくお見掛けします。このような方のお悩みは、私個人的が感じることとしては、とても深刻で、根深く、また複雑化している場合が多いように思います。
「従格」の方の特徴とは
本来「従格」というのは、通変星(比劫・食傷・財星・官星・印星)のひとつ、あるいはふたつが、他の星に比べかなり突出して強く出ており、そのためその道の分野では突出した才能を見せたり、経営者、政治家といったようなリーダーシップを発揮するなど、ひとかどの人物として人生を送る方によくみられる格局です。
喜神の年にはさらにその星が強まり強運となりますので、例えば会社を大きくしたり、大きな投資をする、コンクールや学会で賞を取る、スポーツで大活躍をする、などなど人生においてはかなり好調な時期となります。
ですが忌神の年ともなり、従格にとって大事な従神が強く剋されたり、あるいは無作用干合で失われる時期などは「従格」としての良さが失われてしまう時期になります。従格そのものである従神が傷つくとダメージは計り知れません。このような時期になにか物事を行うときには慎重に行わなければいけません。
もちろん、従格でない内格の命式を持つ経営者や政治家もいますし、その反対に、従格であっても大きなことを成し遂げることなく人生が終わる人もいらっしゃいます。こればかりは、大運・年運、命式の強さ、バランス、そのような総合的な命運と言えるでしょう。
ケース1)従神が命式に2つ以上あれば、従神が無作用干合する行運でも、ひとつは消えてもひとつは残りますから、弱くはなりますが無にはならず、ものすごく大きく運気が崩れると言うことは考えにくいです。
ただし、忌神であることには変わりありませんから注意は必要です。
時 日 月 年
甲 甲 甲 乙
〇 〇 〇 〇
↑のような従旺格の命式の場合、大運や年運で己が巡ると月干甲が無作用干合しますが、残りまだ甲がふたつありますから、このふたつで難しい局面があったとしても乗り切れるかもしれません。ただ忌神財星の行運ではありますから、その事象には注意がいります。また同時にいくつも忌神が巡る場合も(大運・年運同時に己が巡るなど)要注意です。
ケース2)命式中には表れていなくても根として存在している忌神は、大運・年運によっては従神を剋したり弱めたりしてきますし、月令を得ているともなれば通常より大きな力となります。
時 日 月 年
甲 丁 乙 甲
〇 〇 亥 〇
(月令壬)
↑のように命式中に忌神である壬・癸はなくても冬生まれであった場合(月令が水)、行運で巡る官星である壬や癸は、大きな力で日干を剋すことがあります。
従格の方の苦しみは「自分の人生を生きていない」
さて、「従格」であるにも関わらず、大運・年運の巡り合わせが良くなく、苦しんでおられる方がいらっしゃいます。
ご自身が従格であるとご存じない方もいらっしゃって、「なぜこんなに自分は人生がうまくいかないんだろう」と深く悩んでおられます。
良くも悪くも「内格」の方は、良い時期、良くない時期というのがしょっちゅう入れ替わったり同時に来たりするので柔軟性があります。命式自体バランスの良い方なら、わりと幅広くキャパシティがあって、あちらがダメならこちらへというシフトチェンジもしやすく、悩みがあっても自己解決しやすいタイプでもあるのです。
しかし一方で「従格」の方は、自分の思う、進むべき道があらかじめ用意された運命の持ち主です。寄り道はあったとしてもなぜかその用意された方向へ進むことが定められています。ですから、好運気が少なく、良い運気に乗れず、自分が行かなければいけない運命の道筋に長くたどり着けずにいると、「なんのために自分は生まれてきたのだろう」と悩むことになります。「何をやってもうまくいかない」「自分がやりたいことはあるのに仕方なく別のことをやっている、諦めている」という方が従格の中にもいます。
当然です。自分の進むべき道を歩んでいないのですから。もっと言えば「自分の人生を生きていない」ということになります。
「本当はやりたいことがあるけれど、うまくいかないのであきらめて別の仕事をしている」「数年前にチャンスがあったのだけど逃してしまってそれきり」「自分の好きなことを突き詰めることが本当に正しいのか分からない」などを従格の方から聞くと、本当に、本当に残念でなりません。
自分のしたいことをしないで生きる、あきらめて別の道を行く、なんともったいないことでしょうか。自分の一度きりの人生、やりたいことをやらずして、本当に自分の人生を生きていると言えるでしょうか。
「従格的な生き方」とは
「従格」の方は「従格的な生き方」をするべき
もちろん、そうそう簡単なことでないことは私でも分かります。
特にご病気がある、お金の問題、家族の問題、いろいろ抱え込んでいらっしゃるからこそのお悩みなのですよね。
けれど、従格としての運命を持って生まれたのだったら、やはり「従格的な生き方」をするべきなのだと思います。不本意なことを職業にして、毎日我慢しながら、おもしろくないなと思いながら生きていくことは「従格的な生き方」ではないと思います。
自分の運命に沿った生き方をする
間違ってはいけないのは、なにもかも投げ出して自分のしたいことだけをする、自己満足に生きる、ということではありません。
「従格的な生き方」とは、「自分の運命に沿った生き方をする」ということです。
「従格」とは自分の進むべき道を、愚直にまっすぐ、一心不乱に進み、運命を切り開いていく、そういう格局と思います。「内格」が柔軟な麻のロープであるならば、「従格」は鋼鉄の棒(なんでもいいのですが固いもの)と思えばよいでしょうか。個人の性格の話ではありませんよ、運命、生き方のことです。
ロープであれば、曲がったり折れたり、ほどけたり結んだり、そんな風に人生を歩むことも苦ではありません。山があれば山に沿い、谷があれば谷に沿う。その柔軟性が生きる方法であり、またそのことが人間関係を円滑にし、社会をうまく回すのです。
ところが鋼鉄は曲がりません、ほどけません、結べません。でも強靭さ、タフさ、まっすぐな性質を持っています。多くの部下を背負ってもちょっとやそっとじゃ曲がりません。
「従格」の方はそもそも「このようにしか生きられない」という人生を歩む人なのです。
従格の方が内格のように生きると
従格の方が、内格の人のように生きるなら、人生は今よりもっと平坦で、歩きやすくなるかもしれません。それはそれで、幸せと感じることもあるでしょう。
ただ、鋼鉄が柔軟になるには、多大な熱エネルギーが必要(鉄の融点は約1540℃だそうです)、どうしたってしんどいです。疲れます。気力が奪われます。
だからと言ってエネルギーをかけずに曲げようとすると、性質が固ければ固いほどぽきっと折れてしまいます。従格の方で精神的に参ってらっしゃる方はどちらかのように思います。気力がなくなったか、折れてしまったか。
特に現状があまりにもお辛い場合、その環境から逃げ出すことも間違いではありません。命を守るためには逃げることも必要です。不登校の記事に何度も書いていますが、命を守ることが最優先です。
でも従格の方がずっと逃げ出して生きるということは、「自分の人生を生きていない」ように感じてしまい、だからこそ、そこに辛さを感じておられると思います。
自分のこの世での役割はなんなのかを考える
「従格」の方は、「従格」のように考え、行動し、人生を生きるべきです。
つまり、自分の特性を踏まえ、その道をリードし、世界をけん引していく、その力を信じて生きていくことです。
そのために自分自身の「生まれてきた理由」「この世での役割」「人生のミッション」というものを今一度深く考えてほしいと思います。Ryu-jinはそのお手伝いをさせていただきます。
これは内格・従格関係ない話ですが、運気が悪い、良い時期があまりないからといって、決して自分の人生をあきらめることはありません。必ずどこかでチャンスはやってきます。そのポイントを中国式四柱推命ではお伝えできます。
お困りの方はぜひ鑑定をお申し込みください。