息子が不登校になって、息子だけでなく私自身もスクールカウンセラー(SC)さんのお世話になることになったのですが、そのカウンセリングで「認知行動療法」というものを知りました。
ご存じない方のために、さわりだけシェアいたします。
認知のゆがみ(認知行動療法)
認知のゆがみとは
人間の心理的な不具合とは、状況(事実)をそのままとらえられず、「認知のゆがみ」(推論の誤り)というフィルターを通して事実を見ることからくる、というものです。
つまり、人間の心理的な苦しみとは、ものごとを見たそのままとらえず、なんらかの自分自身のフィルター越しに見ることによって事実を歪んでとらえてしまい、そのことからくるものである、ということです。
認知のゆがみとはおおまかに10個あります。
最初の「」を状況(事実)、後の太字の「」が推論の誤りというフィルターを通した見方(認知のゆがみ)と読んでいただくと分かりやすいです。
☑全か無か思考
物事を白か黒かで考えるような二者択一な思考法。「恋人が浮気した」→「別れるしかない」(その後話し合うとかやり直してみると言う思考はない)
☑極端な一般化
たったひとつでも良くないことがあれば、それがすべてになってしまう。「買った野菜に虫がついていた」→「あの店の野菜には全部虫がついてる」(虫がついていたのは買った野菜にのみ、たまたまだった、という思考がない))
☑心のフィルター
たった一つの良くないことだけに目が行ってしまい、現実の良い面に気が付かない。「あの人は説明がヘタだと思った」→「社会人として何一つ良いところはない」(実際には話すのは苦手でも手作業が早かったり字が上手だったり良いところもあるのに目を向けられない)
☑マイナス思考
すべての出来事にマイナスの解釈を加えてしまう。「上司の機嫌が悪かった」→「明日は同僚からも冷たくされるかもしれない」(たまたま上司の機嫌が悪かっただけかもしれないのに、さらにマイナスな状況を自分の頭で作り上げている)
☑結論の飛躍
根拠もないのに自分にとって不利で悲観的な結論を出す。「上司の機嫌が悪かった」→「きっと私が〇〇を間違えたから・・・もう仕事をクビになるに違いない」(上司の機嫌の悪い理由も自分のせいと感じ、起こりそうもない未来を勝手に想像している)
☑拡大解釈、過小評価
自分の失敗や短所は過大にとらえ、成功や長所は過少に評価する。「つまらないミスを指摘されてしまった」→「私は何をやらせてもらってもうまくやれない」、「私は裁縫が上手」→「でも今の世の中に何の役にも立つことなんかない」(少しミスをしたからと言ってそれが無能力の証明ではない、また人にない長所はそれがどんなものであっても胸を張って良い)
☑すべき思考
「~しなければならない」「~すべき」という思考。「今日は体調が良くない」→「体調が悪いくらいで休んではいけない」→「私がこれだけがんばっているのだから、あなたも同じようにやるべきだ」(人はそれぞれの価値観があり、自分の価値観を押し付けるものではない)
☑レッテル貼り
「自分はダメな人間だ」「あの人は冷たい人間だ」というような極端なレッテルを貼る。「極端な一般化」のさらなる行き過ぎた形。「ダイエット中なのにお菓子を食べてしまった」→「私は太っていて醜いうえに意志の弱いダメな人間だ」(そんな事は世の中に良くあることだしダメな人間ではないのに気づかない)
☑個人化
自分に関係がないのに自分に関連付けて考えてしまう。良くないことが起こるとすべて自分のせいのように思えて罪悪感を感じる。「子供が受験に失敗した」→「私がきちんと面倒を見なかったせいだ」
参考:図解やさしうわかる認知行動療法 福井至・貝谷久宣監修(ナツメ社)
などなど、これらの認知のゆがみ=考え方のクセが、自分を苦しめているという理論です。
どうですか、このブログを読んでいる方も、少なからず当てはまることもあるのではないでしょうか。
このクセがこころを苦しめているのだとしたら、この考え方のクセを正していけば、苦しみからも解放される、そのプロセスが「認知行動療法」というものだそうです。
認知行動療法とは
自分の認知のゆがみを認識したら、行動によってこのゆがみを修正していきます。
具体的には、ものの見方に幅を持たせることで考え方のクセを楽な方へ持って行ったり、ストレスを感じた時にこころが楽になる行動をしたりします。それを一定期間記録をしながら行ってみて、のちに記録を振り返ってみた時に、自分がストレスに対してどう感じたり、体がどういう反応をするかを確認します。
ストレスの軽減や、ひどい落ち込みなどが軽くなるなど、うまくいった行動を続けていくうち「しんどいと思っていた出来事も、実際は思っていたほどではなかったな」と認知の修正をしていくことを繰り返していきます。
実際の臨床でも、うつ病やパニック症候群などに保険適用で受けられる病院も少ないながらあるようです。
詳しくは、参考紹介した書籍のほかにも市販されている本がたくさんありますから、もし興味あれば読んでみてください。
不登校と認知のゆがみ
母親が陥りやすい認知のゆがみ
ここからは私自身の経験からですが、不登校の親御さんが抱えている良くある認知のゆがみは
✅全か無か
✅結論の飛躍
✅すべき思考
✅個人化
このあたりではないでしょうか。
「学校へ行けば万事OK」/「学校へ行かないのはNG」この2択しか考えられない。
「今学校へ行けないなんて、将来は引きこもるしかない」という結論の飛躍。
「子どもは学校へ行くのが当たり前」「学校へ行かない子供はおかしい」というすべき思考。
「子どもが不登校になったのはあの時私が〇〇したせいだ」という個人化。
こんな風な考えの偏りを持ち続けるのは母親としても正直しんどいですし、子どもになんら良い影響を与えることもないでしょう。
認知のゆがみはご自身がこれまで生きるため自分を守ろうと獲得してきた固定観念です。
ですからこのゆがみのために自分がしんどい思いをしている、あるいは子どもがしんどい思いをしていると気づくのは難しいです。だって良かれと思って獲得してきたものだから。
でもいったん、このゆがみを認めて手放してしまうと、本当に楽になりますよ。
私の場合(すべき思考)
まずは私自身にある、認知のゆがみを確認しました。
私が持つ一番の認知のゆがみは、ブログでも何度か書きましたが「すべき思考」だったと思います。
自分自身だけではなく、他人に対しても同じような「すべき思考」というフィルターで見ていました。もちろん自分の子どもに対してもです。
「仕事で自分のシフトの時には他の用事を入れるべきではない(のに、なぜ仕事を個人的なな理由で休もうとするんだろう)」とか「掃除はきっちりここまでやらないといけない(のに、なぜやらないんだろう)」「忘れ物をしてはいけない(のに、なぜ忘れるんだろう)」「子どもは親の言うことをちゃんと聞くべき(なのに、なぜ言うことを聞かないんだろう)」
・・・し・・・しんどい・・・(笑)
なにもかもが「~~すべき」と思っていると、そうじゃない状況になった時に、自分自身が苦しくなって、自分の思い通りに動かない人にはつらく当たることになります。
もちろん、命に係わることや犯罪に手を染めるようなことはしてはいけないことですが、それ以外なら別にそこまで細かく「~すべき!」とこだわることも無いのですよ、本来は。
これは、前にも書きましたが「私もOK、あなたもOK」と考え方をシフトすることで、楽になることが出来ます。自分の「すべき思考」がざわついたときには「あなたはそうなのね、それでOK。でも私はこうなの、これもOK。」こういう風に唱えるんです。
大事なのは人を否定しないのと同時に、自分自身も否定をしないことです。
私の考えは、あの人には合わないけど、別に間違っているわけじゃない。だから私が悪いわけではない。
と思うわけです。
私は子どもに対しても、「学校は休まず行くべき」「授業はきちんと聞いて良い成績を取るべき」「部活もきちんと出て体力をつけるべき」と思ってました。そりゃ子どももしんどいでしょうね(苦笑)
今ももちろん、私の中の「すべき思考」がざわつくことはあります。
「なんであの人はこうなんだろう??」「どうしてうちの子はこうじゃないんだろう」と思うこともしばしば。
でも「あー、あの人はああなんだ、仕方ないね。私とは違うから」「うちの子とは言え、私とは別の人間、違う考えもあるわなぁ」と、これも前に書きました「諦め」の気持ちを持つことで、自分を平常に保つことが出来ます。
個人化について・・・
認知のゆがみ、最後の「個人化」ですが・・・
これ、不登校の子の親は良く考えると思います。「自分があの時〇〇したから、子どもが不登校になった・・・」私もいつも考えています、あのときこうしたら、ああしていたら・・・って。
これは、認知のゆがみの「個人化」であるとも言えるし、そうでないとも言ます。
なぜなら、母親は良くも悪くも子どもにとって大きな影響力を持つからです。
「個人化」は”認知のゆがみ”ではあるのですが、このゆがみが母と子の関係を正常化する、つまり母親は母親の役割に徹し子どもは安心して母親を信頼できる関係、に戻すひとつの役割を果たすなら、それは決して悪いゆがみにはならないんじゃないか、そう思います。個人化が母子関係正常化の気づきのきっかけになるなら、それはゆがみであってもゆがみでない、そう私は思うのです。
専門家の方に言わせれば間違っているかもしれません。でも不登校の親の経験として、そう思います。
不登校の子が陥りやすい認知のゆがみ
言うなれば、前に挙げたもの全部当てはまるでしょう。
・学校へ行けない自分は将来ニートになるしかない
・学校へ行けない自分はもう人生終わってる
・学校に行けない自分には何一つ良いところなんてない
・学校にすら行けないのだから、社会人になんてなれるはずがない
・今日学校へ行こうとしたら頭が痛くなった。明日もきっと痛くなるに違いない
・今日友達がケンカしていた。自分が学校へ行ったからだ
大人の目で見れば「そんなバカな」と思うようなことでも、不登校の子どものこころにはこのような認知のゆがみがあるかもしれません。
もし、ご自身のお子さんにこのような認知のゆがみがあるようなら、認知行動療法でこころを楽にしてあげることもできると思います。
息子の場合(頭痛)
私の息子の場合は、「勉強すると必ず頭が痛くなる」でした。
息子は起立性調節障害でしたから、血圧の低下によってひどい頭痛を起こすことがありました。学校や塾での勉強とその頭痛が組み合わさったことから、このような認知のゆがみが出来上がったのだと思います。
行動認知療法として、簡単なプリントを一緒に1枚やってみて、本当に痛くなるか確認をしました。朝方はしんどさがあったので夜にしました。痛くなればすぐやめるつもりでした。
結果、そこまで頭が痛くなることはなく、「勉強すると必ず頭が痛い」という認知が少しずつ「勉強しても頭は必ずしも痛くならない」ことが実体験として分かりました。これらを少しずつ進め、認知のゆがみを書き換えていきました。
もちろん専門家ではないので上手にはできませんでしたが、それでもこのこと以外でも子どもが何かと「〇〇なら、△△になるに決まってる」(レッテル貼りや極端な一般化)と言うたびに、「そうかもしれないが、そうならないかもしれない」と話をして、意識して子どもに対応していました。
あとは本人がいろいろと実経験の中で「どうすれば頭が痛くなりにくいか」や「痛くなった時の対応」などを考えて行動していたようです。
血圧を上げれば朝でも楽になるようで、あまり良くはありませんがカフェインが効果があるようで朝にはコーヒーを飲んだり、シャワーを浴びたりして(お風呂に浸かるのは苦手なようです。逆に血圧が下がるからでしょうか)から学校やバイトに出掛けるようになりました。
認知行動療法はまずお母さまご自身から
私はスクールカウンセラーさんのお勧めで認知行動療法を知り、実際に試してみることで自分がずいぶんと楽になりました。
子どもの不登校から心理学についていろいろと知ることはあっても、実践はどうしたら良いか、何から手を付けて良いのか分からない場合、認知行動療法を知ることから始めてもいいかと思います。理論や具体的な方法が分かりやすいです。
お子さんに試すよりも先に、お母さまがまずご自身で実践してみてください。
いろいろな気づきがあるはずです。おすすめです。