「発達障害」って障害なんですか?
近年、「発達障害」と診断される子ども、それに伴って療育や投薬などの話を聞く機会が増えているように思います。
発達障害を四柱推命的に考察してみました。
※発達障害にもADHD、ASDはじめいろいろなカテゴリが存在することは承知の上で、ここでは細かな分類には触れずに話をしていきます。
「発達障害」は増えている?
精神科医のYouTubeのコンテンツで見たのですが、「近年は”自称”発達障害が多くなった」
確かに診断数は増えているそうです。
ただそれは本当に発達障害の方が増えているのか、というとそういうわけでもなさそうです。
というのは、マルチタスクの増加や頭脳労働など、現代の社会が求めるレベルが高くなっていったため、自然とグレーゾーンの幅が大きくなってしまっているだけだから。
一昔前なら障害などとされなかった領域の人たちも、社会の変容により「発達障害」
ということは、発達障害かどうかというのも、
「発達障害」と不登校・ひきこもり
不登校の児童・生徒は年々増えていく一方で、その原因は様々ありますが、「発達障害」に原因があるとも言われています。
小学校低学年の頃は、少し周りの子と違っていても、自分も周りもさほど気にしないことが多いです。ですが成長とともに、自分と周りの違いによってうまくコミュニケーションが取れずに軋轢が生じたり、周りからいじめられる、仲間外れにされるなどして、結果不登校やひきこもりを招くことがあります。
このような子どもには学校は医療と連携して「発達障害」と診断、特別枠を設けて療育をしていこうとします。デコボコのある子を、平均的な子どもに近づけようとするわけですね。
あらゆるジャンルでボーダーレスが叫ばれる中、子どもにはわざわざ境界を作って教育をするわけです。
そもそも社会の仕組みがボーダーレスとは程遠いので、今は「発達障害」の子どもを「平均的」な子どもに近づける、というように対処するしかないのでしょう。
昔は私も・・・家族も・・・
私自身の話をしますと、小学校の時はおもしろくない授業は聞かずにノートにマンガばかり書いていました。
おかげで今でも漢字の書き順はまったくデタラメです。私の子どもが小学校の宿題で漢字の書き取りするところを見て、初めて正しい書き順を知ることもしばしば。
計算も超苦手です。掛け算、割り算のひっ算は必ずどこか間違っていました。
そのかわりイラストや絵画は得意になりました(笑)
小学校5年のころ(もう40年近く前ですね)、父が自分の仕事のために買ってきたパソコンに夢中になり、市販のゲームはもちろん、自分でも脱出ゲームらしきものをプログラムで作ったりしていました。一度パソコンの前に座ると、時間を忘れて夢中で作業していましたね。
今もやや過集中の傾向があるようで(自分では気づいていない)娘によく「ママはパソコンの前に座ると全然人の話を聞いてない」と言われて「え?そうだった??」となります。
また、少しKY(空気読めない)な気質があり、特に中学時代は人間関係で苦労をしました。
それでも中学に入ってちゃんと授業を聞くようになると成績は良くなり、だいたいいつも1学年300人程度で、10番以内の成績に入っていました。(高校に入るとあっという間に凡人になりましたが)
ここまで読んでどうですか?わたし、ある種の特性がありそうですよね。
何十年も前だから発達障害とは言われなかっただけで(そんな言葉も概念もなかったのでは)、今の世の中であればそう診断されていたかもしれません。
夫も自分の小さいころを振り返り「多動の傾向があったかもなぁ」と言います。
それでもふたりとも、社会に出てからはそれぞれ普通に仕事をして、普通に生活を出来ています。
多かれ少なかれ、人はデコボコがあるものです。それが人間です。
四柱推命から見た「発達障害」
「デコボコ」は四柱推命的に見てみれば特別なことではない
四柱推命は、命式の偏りを見て判断する占いです。命式の偏りとはつまり「どれほどデコボコしているか」です。
四柱推命ではデコボコがあるのが当たり前です。
デコボコのない、バランスの非常に良い命式ももちろんありますが、多くの方はある程度偏りがあります。
偏りがとびぬけて大きければ従格の命式となり、偏りが少なければ内格の命式となります。
従格だから発達障害なのかと言われれば違いますし、内格の方でも生きづらさを感じておられる方は多くいます。
明確に「発達障害」という命式はなく、あるのはその方の持つ命式のある程度のデコボコと、行運によるデコボコの変化です。
「発達障害」を四柱推命的に分析すると
政府広報オンラインに発達障害の特性が書かれています。
一部ではありますが、発達障害の特性を四柱推命的に分析してみました。
人との関わりが苦手なお子さんは、自分自身というものをしっかり持っていて、周りに合わせたり人に迎合することが苦手なのでしょう。
自分自身・兄弟・仲間の星である「比劫」が強いとこのような特性が出ます。
比劫が強いと行動力に優れ、自分でどんどん物事を推進していく力があります。成長すればリーダーシップのある良き経営者となることも可能です。
話が上手だが一方的なお子さんは、おしゃべり上手で頭の回転も速いですが、やや独りよがりなところがありますね。
集中力がなく席を立ってしまうお子さんは、運動感覚に優れいて、頭で理解することより動くことに重きを置いているのでしょう。
相手の傷つくことをしゃべってしまうお子さんは、頭で考えるより先に口が動いてしまいますね。
表現の星「食傷」が強いとこのような特性が出ます。
おしゃべりが好きだったり運動が好きだったりします。芸術家肌でもあります。またボランティア精神も合わせ持っているので、人のために働くことを喜びます。スポーツ選手や教師、アナウンサ-、政治家などに食傷が強い人がいます。
運動が極端に苦手なお子さんは、「土行」が強いかもしれません。水を剋して弱めるので、骨も弱めです。偏食もありそうですね。
できればお日様の下で楽しく遊んでほしいです。遊べばお腹がすいて食べられるようになりますし、食べれば筋力もついてきます。昼間体力を使うので夜寝られて、成長ホルモンも良く出て骨も強くなります。
学習面でとびぬけた才能を持ったお子さんは、自分の興味のある分野では他の追随を許さないほどの集中ぶりで知識を吸収していきます。集中している時は周りの声も聞こえません。
学問・研究の星、印星が強めだとこのような特性が出ます。将来は研究者や学者さんになるかもしれないですね。
このように一般には「発達障害」と言われるようなお子さんであっても、四柱推命の観点から見ればなんら特別なことはなく、比劫や食傷が強い弱い(デコボコ)など、本当にどこにでも良くある命式としてとらえることが出来ます。
「デコボコ」を活かした道を歩む
裏を返せば、「発達障害」という命式はなく、四柱推命的にはいくらかの適性にデコボコがあるに過ぎません。人間なのですから、デコボコがあるのが普通ではないですか?
つまり四柱推命的に考えれば、「発達障害」だからといって特別視することに意味はありません。ナンセンスです。
デコボコは生まれ持ったものなのですから、そのデコボコに合った人生(職種)を歩むことで、自身の才能を活かすことができると四柱推命では考えます。
多くの「発達障害」と言われる方が生きづらさを感じているのは、デコボコを無視して違う道を生きようとするからでしょう。
動き回って飛び回ってが好きで得意な人なのに、デスクワークやルーチンワークをしようとするからしんどいのです。
自分である程度の裁量がある働き方が出来る人なのに、言われたことだけやらされるような職場だから辛いのです。
比劫が強ければそのような生き方を、食傷が強ければそのような人生を歩む方が、その方にとって生きやすい人生となるのではないでしょうか。
発達障害を特別視する現状
ただし、現実社会ではそうはいかないようです。デコボコのある子どもを特別視して矯正しようとします。
どうも、今の学校や療育の目標として「平らに均(なら)された子ども」を作り出そうとしているように思えます。「平均的な子」は、集団や、大人の社会で扱いやすい子、とも言い換えられます。
「発達障害」と言われる子は、大人が扱いにくい子どもです。だから「平均的な子」にしたいんでしょうね。
でも、「発達障害」と言われる特性のある子どもを「平らに均された子ども」に作りかえることが、その子のためになるでしょうか?その子の幸せにつながるでしょうか?
もしその子がその子の特性を持ったまま生きて幸せにつながらないとしたら、それはその子のせいですか?
そのような特性を受け入れず、問題視する側の責任じゃありませんか?
私の母は、私が小学校の頃、私の描いたマンガを喜んで見てくれましたし誉めてくれました。パソコンに向かっている時も「そんなことやめなさい」とは、今思い返すと一度も言われたことはなかったです。
昆虫が好きで畑を補虫網を持って駆け回っていた時も、帰宅時間をうるさく言われたことはありますが、採ってきた昆虫に「気持ち悪い」や「なんでこんなのが好きなの?」「女の子なのに」などと言うことはありませんでした。
私のデコボコをならそうとされなかったのは、ありがたいことだったと思います。
「発達障害」と言われるお子さんとどう向き合うか
政府広報オンラインの記載の通り
発達障害のある人は、他人との関係づくりやコミュニケーションなどがとても苦手ですが、優れた能力が発揮されている場合もあり
「発達障害」と言われるお子さんが、優れた能力を発揮することがあるのです。
だから、せっかくの特性を持ったお子さんを「平らに均す」ことは罪なことです。せっかく生まれて来てくれた日本の宝をわざわざつぶすことになりかねません。
子どもの特性や得意なこと、好きなことを大人たちが本当に理解し、ケアをし、特技を伸ばしていける学校や社会であれば、「発達障害」という概念そのものがなくなり、「発達障害」による不登校やひきこもり問題は解決できると思います。
そうすれば「発達障害」とわざわざレッテルを貼って特別枠で教育をすることなど必要なく、本当のボーダーレスの社会が実現するでしょう。
理想論と言われればそれまでです。
現状では社会の受け入れ態勢が整っていないため、「発達障害」の子たちは生きづらさを抱えています。そのための療育であることは理解しています。
だからこそ、すべての子どもたちが安心して自分の能力を発揮して社会で生きていけるような、そのような世の中にしていかなければいけない。大人に課せられた責任は重大です。