和歌山県の公立中学校の卒業式は3月9日です。今年もコロナ感染拡大防止のため、卒業式は3年生と先生方、保護者のみで行い、在校生は卒業式には参加できないようです。少しさみしいですね。
さて、卒業式に先駆けて、今日は私がボランティアに行っている適応指導教室でも卒業お祝い会が開かれました。卒業する方は今年はひとり、中学2年の時に適応に来ていた子で、3年生になってからは学校に行きだしたため私は会っていませんでした。
久しぶりにお会いすると元気そうで、1年前よりずいぶんしっかりとした姿になっていました。春から進学する高校もすでに決まっており、希望に満ちたお顔をされていて、とても頼もしく思いました。
適応教室の先生、教育委員会の先生、ボランティア、教室の生徒、そしてお母様が順にお祝いの言葉を送りました。それぞれ心のこもったお話をしてくださいました。その中で私が贈った言葉は「がんばらなくていい」です。
春からの高校生活には、期待と不安が渦巻いていると思います。中学校時代十分に築けなかった友人関係や、取りこぼしている勉強を高校で挽回しよう!という気持ちと、ちゃんと通えるかな・・・という不安な気持ちが拮抗していることでしょう。「がんばらなくっちゃ」と気合いも入っていると思いますが、敢えてわたしは「がんばらなくてもいいんだよ」と伝えたかった。
もちろん、がんばれるときはがんばったら良いんです。でも学校や友達との付き合い方、距離の取り方がうまくできなかった場合、がんばり続けるのはこころがしんどくなる一方です。そういう時には少し休んで気力を養って、元気になったらまた学校へ行けばいいです。
こういうことを書くと「甘やかしている」「それでは子どもは将来ダメになる」と言う方がいらっしゃいます。言いたくなるお気持ち分かります、私もかつてはそういう親でした。熱もないのに子どもが学校を休む=さぼっている=ダメな子、という意識でした。
でも違いますよ。子どもは本来、学校で集団で遊んだり学んだりすることは好きなんです。なのに好きなはずの学校へ行けない(行きたくないと拒否する、行こうとすると頭やお腹が痛くなるなど)のは、学校に行くと自分の身が危ういと思うほどの恐怖心(トラウマ)があるからなのです。それは先生の威圧的な態度だったり同級生のいじめ、部活の厳しい練習や勉強そのものだったりします。その恐怖が何度も重なりトラウマとなります。不登校とはそのトラウマから逃れるため、体とこころが拒否反応を起こしているのです。(詳しくは赤沼侃史先生 @office57588455 の理論をご参照ください)
自分を守るために学校へ行かない子どもを無理に学校へ行かそうとするのは、子どもを死に追いやっているようなものです。大げさでもなんでもなく、子どもが悩んでいることを親が気づかず(子どもが親に相談できず)、夏休み明け2学期初日に線路に身を投げる子も少なくないのです。もし、あなたが子どもが学校へ行かないことに悩んでいるお母さんだとしたら、お子さんは学校へ行くことをからだもこころも拒否している、ということに気づいてください。
学校へ行くことは子どもの心身の健康にとって、とても大事です。それは確かです。でもそれよりいのちを守ることの方がもっともっと大事。勉強に関しては、後からいくらでも取り戻すことは可能です。社会に参加することも同じ。でもいのちは一度失っては二度と戻りません。
何もみんなが行っている学校だけが学校じゃありません。市の教育委員会が運営する適応指導教室のような「居場所」のほかに、フリースクールや塾のような場所もあります。高校も、全日制が無理なら定時制だって通信制だって卒業してしまえば同じ高卒です。通信制から大学へ行く子だって珍しくなくなりました。高校を3年で卒業が無理なら、4年で卒業したって良い。そんなの、人生100年と言われている時代、本当にほんのわずかな回り道にすぎません。
とにかく、学校へ行こうとがんばらなくていいんです。それよりも自分のこころを守って、大切に、豊かに成長していくことの方が何倍も大事です。
不登校になる子は、優しくて、ひとの気持ちに敏感で、とても頑張り屋さんです。そう、不登校になるまでもう充分がんばってきているのですよ。学校へ行けない時はあったけれど、それも長い人生の中ではほんの数年のこと。その後の人生では、きっとつらかったときの経験を糧に、素敵な大人へと成長してくれることでしょう。だから今は決して無理にがんばらないで。明日卒業する、(元)不登校の子とその保護者様たちに贈る言葉でした。